近江牛

近江牛

access_time 2020年03月14日更新

日本に牛が入ってきたのは古代のことで、何千年も前から耕作用の動物として使われていました。しかし、長らく「薬」として使われた以外は、食用としては使われませんでした。10種類の在来牛が記録されていますが、その長所は強さと従順さに限られており、江戸時代には、身分の高い人を除いて肉や乳を食することは禁じられていました。

明治時代になって日本が西洋の影響を受けるようになると、欧米人との肉体的な競争に勝つために、肉食が奨励されるようになります。この時、日本の働き者の牛と西洋の優れた品種を交配し、乳用と肉用の地場品種を開発しました。これが和牛の始まりです。このとき、日本の在来牛は肥育すると筋肉内に脂肪がつきやすいことがわかり、この脂肪のおかげで他の肉種にはない柔らかさとコクがあることが認識されました。

特に、琵琶湖の清らかな水が流れる牧草地で育った近江の黒牛は珍重されました。明治時代には、神戸港を経由して東京に運ばれ、「神戸牛」としてブランド化さます。しかし、そのブランドを除けば、この優れた牛肉は神戸とは無関係で近江牛なのです。現在の神戸牛は、近江牛に恵まれていない地域でも飼育されており、その味も近江牛の特徴を反映しています。

近江地方では今でも黒毛和牛が飼育され、その飼育には細心の注意が払われています。モーツァルトを聴くわけでもなく、マッサージをするわけでもなく、ビールを飲ませるわけでもありません。餌は近江米の稲わらと良質の配合飼料。そのため、近江牛は、日本人や外国人の食肉愛好家を魅了してやまない柔らかさと豊かな風味のバランスを保っているのです。