名勝玄宮楽々園は、彦根城天守の北側にあり4代当主井伊直興により2年をかけて造営された彦根藩の下屋敷です。
通常非公開施設とされているこの御書院にて、彦根藩にゆかりのある長松院 手塚紀洋住職をお呼びして坐禅体験を開催します。
春先の芽吹きを感じながら坐禅をすることにより、忙しない毎日に少し休止符をうち無心になってみませんか。
坐禅ってナニ?という超初心者から、私は坐ってウン十年!というベテラン参禅者までどなたでもご参加ください。早朝の清々しい時間帯に行う『暁天』、日の入りを感じる『夜禅』と日中の3つの時間帯に開催します。宿泊されている方は朝食前や、チェックアウト後の時間帯、夕食前に、または彦根城の観光前後やお花見前など都合の良い時間帯にお越しください。地元の方もぜひふらっとお越しいただき、いつもとちょっと違う時間をお過ごしください。
また、坐禅をとおして彦根の侍文化を体験した証明として認定書を贈呈します。
楽々園は、彦根城天守の北側にあり、4代当主井伊直興により延宝5年(1677年)から2年を要して造営された彦根藩の下屋敷です。以降、部屋数の増減を繰り返しながら現在まで伝えられてきました。建物が最大規模となったのは11代直中のときで、「楽々園」の名前の由来となる「楽々の間」は12代直亮のときに造営されたものです。彦根市にあるもうひとつの名勝「旧彦根藩松原下屋敷(お浜御殿)庭園」とは性格が異なり、より公的な側面を持つ空間で、当主が隠居後に利用する施設として運用されました。
楽々園内の建造物の老朽化に伴い、平成17年度から楽々園保存整備事業に着手し、平成24年度には御書院の全解体修理が完了しました。
曹洞宗萬年山長松院は彦根の中央に位置し、井伊家の家臣やその関係者たちの祖先が眠る彦根の古刹で、その歴史は四百年を超えます。故事によると善利川(現芹川)の中州において、慶長7年2月1日、井伊直政公が42歳にして死去、生前より遺言されていたこの地において火化し骨灰遺物を埋葬、塚を建立しその傍に廬を建てられました。同年3月8日、甲斐国より禅僧として名高い貴山永胤大和尚を開山に迎え、井伊直継公によって慶長7年6月28日禅堂をつくり祥壽院(井伊直政公の戒名 祥壽院殿清涼泰安大居士より)とされました。のちに萬年山長松院と改め現在に至ります。なお、萬年山の萬は直政公が徳川家康の小姓をしているときの名前「萬千代」より、また長松院の松は幼名「虎松」より頂戴されました。
こんにちは。長松院の住職、手塚紀洋と申します。『坐禅は興味あるけど敷居が高そう』『足が痛そうだ』『棒で叩かれるのは怖い』坐禅に対してそんなイメージを持っていませんか? でも実は坐禅ってそんなに難しくも、痛くも、怖くもありません。あまり難しく考えず、歴史ある建物の中で日頃のストレスを解放し、本来の自己と一緒に座ってみませんか?初心者歓迎。坐禅指導いたします。
彦根市では、豊かな歴史と文化遺産を誇る観光都市「彦根」を世界に向けて発信し、さらなるインバウンド誘客を推進するため、2024年10月1日より、文化財施設「御書院」「地震の間」を有効活用した新たな体験型プログラム「侍認定制度」を創設。その体験プログラム開発事業者として当法人が認定を受け、本体験を造成しました。
侍認定制度の創設および体験プログラム開発等事業者の募集について - 彦根市
近江ツーリズムボード事務局
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